2026年6月11日、サッカーのワールドカップ(W杯)がアメリカ・カナダ・メキシコの3カ国共催で開幕した。出場国は前回の32から一気に48に拡大し、試合数は104、開催期間は39日間と、いずれも大会史上最大の規模となる。世界の視聴者は延べ60億人、世界人口のおよそ4分の3に達すると見込まれており、まさに「地球規模の祭典」が始まった。
だが、ピッチ上の盛り上がりの裏で、いま世界中のファンを最も騒がせているのはスコアではない。チケットの価格である。FIFA(国際サッカー連盟)が今大会で初めて導入した「価格変動制(ダイナミックプライシング)」と、公式の転売サイトの存在によって、チケットはもはや“買うもの”ではなく“競り落とすもの”——いわばオークションの様相を呈し始めている。本稿では、まず拡大した大会の構造を整理し、その上で過熱するチケット問題の全体像を見ていく。
史上最大、48カ国・104試合の新しい大会構造

今大会の最大の特徴は、なんといっても出場国が48カ国に増えたことだ。これにより大会の骨格そのものが大きく作り替えられた。
48カ国は4チームずつ12のグループに分けられ、まずは総当たりのグループステージ(1次リーグ)を戦う。試合数はグループステージだけで72試合に上る。
勝ち上がりの仕組みも新しくなった。各グループの上位2チーム(計24チーム)が自動的に決勝トーナメントへ進み、さらに「3位チームのうち成績上位8チーム」が加わって、合計32チームによる決勝トーナメントが組まれる。つまり今大会から、これまで存在しなかった「ラウンド32(ベスト32)」という新しいノックアウトステージが設けられたわけだ。ここから先は、ラウンド16(ベスト16)、準々決勝、準決勝、決勝と、おなじみの一発勝負が続く。決勝トーナメントだけで32試合、グループステージと合わせて104試合という計算になる。
スケジュールは、グループステージが6月11日から27日まで。新設のラウンド32が6月28日から7月3日、そして決勝は7月19日に行われる。開幕戦の舞台はメキシコシティの伝説的なスタジアム、エスタディオ・アステカ。決勝は米ニュージャージー州のメットライフ・スタジアム(大会名称「ニューヨーク・ニュージャージー・スタジアム」)で開催される。会場は3カ国16都市に広がり、選手もファンも広大な北米大陸を移動しながら戦う、過去に例のない分散開催だ。
会場が3カ国にまたがる影響は小さくない。アメリカ国内だけでも東海岸から西海岸まで時差は3時間あり、メキシコやカナダを含めれば、チームによっては数千キロ単位の移動を繰り返すことになる。気候も、真夏のアメリカ南部の酷暑から、比較的涼しいカナダまでさまざまだ。どの都市を「本拠地」にしてグループステージを戦うかが、コンディション管理の面で勝敗を左右しかねない。規模が大きくなるほど、ピッチ外の「ロジスティクス(移動・宿泊・調整)」の巧拙が成績に直結する大会になっている。
チームにとっては、48カ国に枠が広がったことで、これまでW杯に手が届かなかった国にもチャンスが回ってきた。日本も早々に出場を決め、アジア勢の枠が増えたことで本大会への道はわずかに広がった。一方で試合数が激増したため、優勝するには最大8試合を勝ち抜く必要があり、選手の過密日程や移動負担の大きさも早くも議論になっている。規模の拡大は「夢の間口を広げる」と同時に、「過酷さ」も連れてきた。
拡大をめぐる賛否

48カ国化には、当初から賛否がついて回ってきた。賛成派は「アフリカ・アジア・北中米など、これまで予選で涙をのんできた国々に本大会の舞台が開かれる」「サッカーの裾野が世界中に広がる」と歓迎する。実際、今大会には初出場の国も複数含まれ、それぞれの国にとっては歴史的な瞬間となった。
一方で慎重派は、「グループが12に細分化されたことで、消化試合(順位に影響しない試合)が増えるのではないか」「強豪と新興国の力の差が開きすぎ、大味な試合が増える懸念がある」と指摘する。さらに、3位チームの一部が勝ち上がる新ルールは、最終戦まで「自分たちが何位なら通過できるのか」が確定しにくく、わかりにくさを生むという声もある。間口を広げることと、大会全体の緊張感を保つこと——この両立は、今大会で実際に試されることになる。
一方で——チケットが“オークション化”している

この史上最大の大会で、もう一つ史上初の試みが導入された。チケットの**ダイナミックプライシング(価格変動制)**である。これは航空券やホテルのように、需要が高まれば価格が上がり、需要が落ちれば下がる仕組みだ。FIFAが固定価格表を捨て、市場の需要に合わせて値段を動かすのは、W杯の歴史で初めてのことだった。
FIFAが当初示した価格帯は、最安のグループステージで**60ドル(約9,600円)から。これだけ見れば「意外と手が届く」と感じた人もいただろう。ところが上限は決勝で6,730ドル(約100万円)**に設定され、しかもそれは“スタート地点”にすぎなかった。
需要が読めると、FIFAは価格を一気に引き上げた。報道によれば、5月下旬の時点で決勝の最上位カテゴリー席は一次販売の段階で**33,970ドル(約500万円超)**へと、当初の上限の数倍にまで跳ね上がった。決勝チケットの最低価格も4,185ドル(約65万円)に達し、これは2022年カタール大会の決勝最低価格(602ドル)と比べておよそ7倍という水準だ。「価格変動制」とは、平たく言えば「人気の試合は青天井で高くなる」制度でもあった。
公式転売サイトという“オークション会場”
価格高騰に拍車をかけているのが、FIFAが2025年10月2日に開設した公式のチケット転売(リセール)サイトだ。一度買ったチケットを、ファン同士が売り買いできる仕組みである。表向きは「行けなくなった人と、どうしても行きたい人をつなぐ」健全なマッチングだが、問題はその価格設定にある。
アメリカ・カナダ開催の試合については、転売価格に上限が設けられていない。つまり売り手が好きな値段を付けられる。需要が爆発している人気カードでは、ここが事実上のオークション会場と化した。2026年4月には、公式転売サイトに**230万ドル(3億7,000万円以上)**という途方もない価格のチケットが出品され、世界に衝撃を与えた。
さらに見逃せないのが、この転売でFIFA自身が儲かる構造だ。転売が成立すると、FIFAは売り手・買い手の双方からそれぞれ約15%、合わせて約30%もの手数料を徴収する。仮に先の3.7億円のチケットが売れていれば、FIFAには手数料だけで**69万ドル(1億1,000万円超)**が転がり込む計算になる。価格が吊り上がるほど主催者が潤う——この利益相反の構図に、批判が集中している。
高騰の影で増える「偽チケット」リスク
価格が高騰すると、必ず付いてくるのが詐欺だ。正規ルートで手が出ない人が「少しでも安く」と非公式の売買に流れた結果、偽造チケットや「お金だけ振り込ませて届かない」といった被害が世界中で報告されている。FIFAが公式の転売サイトを用意した狙いの一つは、本来こうした闇取引や悪質な高額転売(ダフ屋行為)を、公式の管理下に取り込むことにあった。
ところが皮肉なことに、その公式サイト自体が上限なしの高額転売を許し、結果として「公認のオークション」になってしまった面は否めない。ファンを詐欺から守るための仕組みが、価格をさらに押し上げる装置にもなっている——ここに今大会のチケット問題の難しさが凝縮されている。日本から現地観戦を狙うファンも、購入は必ずFIFA公式(FIFA.com/tickets)の正規ルートと公式転売サイトに限り、SNSや個人売買での「格安チケット」には絶対に手を出さないことが、自衛の大原則になる。
「私だって払わない」——広がる反発と空席の懸念
あまりの高騰ぶりに、批判はファンや専門家にとどまらない。アメリカのトランプ大統領までもが、高額チケットについて「私だって払わない」と一蹴したと報じられた。サッカーを「庶民のスポーツ」と信じてきた人々にとって、決勝1枚で家や車が買える価格は、もはや別世界の話だ。
皮肉なことに、強気の価格設定は「売れ残り」も生んでいる。6月初旬の時点で、FIFA公式サイトには数万枚の未販売チケットが残り、公式転売サイトにも約17万5,000枚が出品されたままだという。人気カードは数億円の値が付く一方で、注目度の低いカードや高すぎる席は空席のまま——という二極化が起きている。「満員のスタジアム」という大会の理想像と、現実の値付けとの間で、FIFAはきしみを抱えたまま開幕を迎えた。
まとめ:規模は最大、ハードルも最大
2026年W杯は、48カ国・104試合という「間口の広さ」で、これまで以上に多くの国とファンに門戸を開いた大会だ。新設のラウンド32や3カ国16都市の分散開催など、構造そのものが新時代に踏み出している。
だが同時に、チケットのダイナミックプライシングと上限なしの公式転売は、「観に行く」という最も基本的な参加のハードルを、かつてない高さに押し上げた。出場国の門は広がったのに、観客席の門は一部の富裕層に向かって狭まっている——今大会は、そんな矛盾を世界に突きつけている。
背景にあるのは、W杯が生み出す巨大なお金だ。放映権・スポンサー・チケットを合わせた収入は大会ごとに記録を更新し続けており、FIFAにとってチケットは「ファンへのサービス」であると同時に、収益最大化の対象でもある。ダイナミックプライシングも上限なしの公式転売も、突き詰めれば「払える人から最大限に取る」という商業的な合理性の産物だ。問題は、その合理性が「サッカーは誰のものか」という根本的な問いと、真正面からぶつかっている点にある。
ピッチ上の熱狂と、チケット市場の過熱。この二つの「最大規模」が同居する2026年W杯は、サッカーというスポーツが今後どこへ向かうのかを占う、象徴的な大会になりそうだ。7月19日の決勝のホイッスルが鳴るまで、ボールの行方とともに、チケットを巡る議論からも目が離せない。
参考: Goal.com、Politifact、Quartz、Al Jazeera、NBC Sports、文春オンライン(Yahoo!ニュース)ほか





